史跡
 
【村上神社 】
村上神社があった場所は、かっては村上おどり山古墳(高さ3.6m、直径40m)があった。しかし、土地区画整理のため、周囲を削って社殿や付属施設を建てたため、今では、原型は残されていない。愛知県史跡調査によると、5世紀後半の円墳とされている。古墳からは何も出土していないが、北では須恵器はそう(胴に穴のあいた口広細くびのつぼ)を採取している。
人々が立ち入らないおどり山に、いつしか狐(きつね)の一族が住みついた。狐は夜行性で、昼間はめったに現れないが、子狐は時々巣穴から出ては遊び戯(たわむ)れていた。狐は上方へ飛び跳ねる習性があり、地元の人はこの姿が踊っているようなので、狐踊りといい、だれいうとなく「おどり山」と呼ぶようになったという。
村上神社は熱田大神を祭神としている。

【二本松 】
汐路町二丁目には日本の松の老木が見られ、塩付街道名残りの松といわれている。南区本星崎一帯では、当時盛んに塩が作られていた。その塩は千種区古出来町で集められ、遠く信州(長野県)まで、馬で運ばれたという。塩付街道と呼ばれるようになったのは、その塩を俵に詰め、馬の背に積み運んだことからいつしかいわれるようになった。区間は、本星崎から古出来町までの約10kmである。

【馬頭観音(ばとうかんのん) 】
頭上に馬の頭を頂いている、観世音菩薩(観音)は慈悲のお顔をしているが、馬頭観音は唯一怒った顔をしているという特徴がある。
塩付街道沿い祀られていたもので、当時の人々の道中の無事を祈った。また、人々が困難に遭遇したとき、駆けつけ救済する、という信仰もある。

【東栄八幡社(とうえいはちまんしゃ) 】
応神天皇が祀られている。このあたりは、本願寺村から独立し本願寺外新田といわれた。
「尾張徇行記」に熱田社家栗田宮部太夫支配とあり、当時、境内は一反十二歩(約10,000平方メ-トル)あったという。また、新田には、藩士寺尾土佐守が与えた屋敷跡に15軒が住み始めた。よってこの地名を十五軒屋という。

●出典
瑞穂フォ-ラム社
 「瑞穂区の地名・町名考」
瑞穂区役所まちづくり推進室
 「みずほ検定 クイズDEみずほ~歴史・史跡編~ 公式テキスト」 
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